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スティーブ・ジョブズがADHD!?【成功者から学ぶ発達障害の生存戦略】

スティーブ・ジョブズがADHD!?【成功者から学ぶ発達障害の生存戦略】

みなさんが普段使っている、iPhoneやMacを作った生みの親であり、Apple元CEOのスティーブ・ジョブズはご存知でしょうか?

2011年に亡くなってからも彼の才能の偉大さや人間性ついては今でも語り継がれており、映画や書籍などが数多く出されています。

今ではコンピューターが当たり前のように社会に普及して、ビジネスの現場やアーティスの創作活動まで様々な使われ方をされていますが、もしもAppleがGUI (グラフィカルユーザーインターフェース) を世に出さなければ、今のようなパソコンの普及は何年か遅れていたことでしょう。

そんな凄いことを成し遂げたジョブズの人生は、決していい事ばかりではなく、彼の特性が原因で様々な困難が立ちはだかります。

そこで今回はスティーブ・ジョブズの生涯とADHDの関係性について詳しく解説していきます。

 

 

ADHDの症状と特徴

ADHDの症状と特徴

ADHDとは発達障害の種類の一つで、日本語では注意欠損・多動性障害とも呼ばれています。

発達障害とは生まれつきの脳の障害であり、病気でもなく見た目にも現れないので性格か障害なのかの線引きが難しく、なかなか周りの人に理解されにくいという部分があります。

よく障害のあるADHDやアスペルガーの人を顔つきで判断しようとする方がいますが、まったく根拠がないので安易な判断で決めつけないようにしましょう。

ADHDの症状は注意力が持続することが難しく一つの物事に集中できなかったり、物忘れが激しいなどの特徴や、空気を読むことが苦手で自分の好きな話ばかりしてしまい他人の話を全く聞き入れないという特徴もよく見受けられます。

詳しいADHDの症状はコチラ

 

ADHD (エー ディー エイチ ディー) の有名人

 

スティーブ・ジョブズとはどんな人物か?

スティーブ・ジョブズとはどんな人物か?

スティーブ・ジョブズは1955年2月24日にシアトルで生まれましたが、生後すぐに養子に出されて養子父母の間で育てられました。

ジョブズが16才の時に友人の紹介で、将来Apple1を発明することになる「ステーブ・ウォズニアック」と出会い彼らは意気投合し、電話のただ掛けができるブルーボックスを開発して販売することにより収益を得たりしていました。

両親のススメで大学進学しましたが、高い学費がかかることと興味のない科目を履修すること嫌がり約半年ほどで中退しました。

大学中退後はATARI(アタリ)というゲーム会社の社員として働きます。

ATARI(アタリ)を退社後は、スティーブ・ウォズニアックと数人の友人と共にApple1の開発に取り組み小さな成功をおさめた後、Apple2の開発も進めてゆき個人投資家のマイク・マークラ」の融資を受けて事業を拡大していきます。

その後、波乱万丈な人生を切り抜けてゆき、「iMac」「iPod」「iPhone」「iPad」などの数々の革新的な製品を世に出しました。

 

スティーブ・ジョブズの生涯とADHD

スティーブ・ジョブズの生涯とADHD

スティーブ・ジョブズは、その才能やApple成功の部分ばかりクローズアップされることが多いですが、その生涯は色々な人達から恨まれていたり、呆れられていたことも事実です。

なぜなら彼は製品開発に対する熱意が強いがゆえに他のことが目に入らないことがよくあったからです。

例えば、会社の方針について来れない従業員は直ぐにクビにしたり、タイトなスケジュールと自分のこだわりを従業員に押し付けて開発を行うことが日常化していたため、自分勝手で人をモノのようにしか扱わないというジョブズのサイコパスな一面を嫌う人はたくさんいました。

これらのことがスティーブ・ジョブズがADHDと疑われる要因なのです。

しかし、彼のそんな一面も尊敬される部分は多くあり、今でも沢山の人達の心を引きつけています。

 

大学中退と ATARI (アタリ) への入社

ジョブズは大学進学を元々高額な学費がかかってしまうことが嫌だったことと、大学に通っていても自分の興味のある分野以外のことには関心がなく入学から半年ほどで大学を中退していまいます。

しかし大学中退後もカリグラフィーなどのデザインや哲学の分野には興味を持っており、密かに講義に潜り込み授業を受けていました。

そして、中退後は「ATARI (アタリ)」という有名なゲーム会社に社長を説得し、時給5ドルで入社します。

入社してからしばらくして、ジョブズは高度なゲームの開発を手がけますが、上手くいかず友人のスティーブ・ウォズニアックに助けを求めます。

なんとかゲームを開発しますが、その時の報酬金額を偽ってウォズニアック渡しています。

 

アップル1の誕生とApple創業

アップル1はスティーブ・ウォズニアックが趣味で開発していたものをジョブズが売り出すことを考え、本格的な開発がスタートします。

当時のコンピューターは大型で操作が複雑だったため素人がとても扱える代物ではありませんでした。

しかしアップル1は当時としては画期的なコンパクトサイズで、なおかつ操作をリアルタイムでモニターに表示するというCUI形式を採用したことでコンピュター好きの人達の心を鷲掴みにします。

そして、街の小さなコンピューターショップで契約をとっていき、友人のダニエルコトキなど数人を自宅のガレージに集めアップル1の製造を始めました。

 

アップル2の開発と事業拡大

ジョブズはさらなる事業拡大を考え、投資家のマイク・マークラから9万2000ドルの融資を受けます。

それを元手に新法人「アップルコンピューター (Apple Computer, Inc.)」が設立させます。

そして、アップル2の開発と販売によってAppleに莫大な利益をもたらしました。

さらにAppleの株式公開(IPO)をすることによって会社が急激に成長すると同時に、ジョブズに莫大な個人資産を手にすることになります。

しかし、ジョブズは同じ創業者のダニエルコトキには株式の配当をすることがなかったため、コトキはApple社を去ってしまいます。

 

これ以上付き合いきれないとAppleを追い出される

ジョブズのAppleでの態度はまるで暴君ようで、彼の方針について来れない人は容赦無くクビにしたり、会社の資金を湯水の如く開発に注ぎ込んだため株主や従業員からの評判はよくありませんでした。

また、Macの開発費の売れ行きがあまりよくなかったことと、マイクロソフトのWindows発売によってAppleの事業が傾き始めたため現状を見直す必要がありました。

その後、株主とマイク・マークラ、ジョンスカリーを集めて取締役会が開かれますが、ジョブズを守ろうとする人は一人もいなく、彼はApple社を去ることになります。

 

新会社Nextの設立とPixar (ピクサー) 映画トイ・ストーリー のヒット

ジョブズはAppleを去った後、新会社「Next」を設立してパソコン市場に再び参入します。

パソコンの開発は過剰に費用がかかってしまったことと販売数があまり伸びなかったことによって、Nextでの挑戦は失敗に終わってしまします。

しかし、当時出資していたアニメーション会社「Pixar」の「トイ・ストーリー」の映画がヒットしたことによって、再びジョブズは成功をおさめます。

 

AppleのCEOとして復帰

当時、経営難に陥っていたAppleがジョブズのNextを買収する形でて復帰することになり、のちに創業者の一人であるマイク・マークラを退社に追い込みCEOの地位に返り咲きます。

そして、必要のない開発プロジェクトの整理を行いAppleを本来の方向へ導くための「Think different」キャンペーンを始めます。

ジョブズはAppleを去ってから、Nextでの失敗とピクサーでの成功をおさめたことによって今までとは違い、ビジネスのスキルが飛躍的に向上したとによって徐々にAppleは息を吹き返してきます。

 

iMacとiPodの発売でAppleを復活させる

Appleに戻ってきたジョブズはまず、Nextでのパワフルなインターフェースの開発経験を生かして新製品のiMacを発表します。

その時にマイクロソフトからの資金提供やソフトウェアの提供もありiMacの知名度はかなり向上します。

そして、iMacは今までにはなかったカラフルでスタイリッシュなデザインでユーザーの心を捉えることに成功し、好調なスタートをきります。

その後、AppleはiPodという音楽プレイヤーを発表して、音楽業界の市場でも勝利をおさめます。

 

iPhoneの誕生とジョブズの最後

ジョブズをもっとも有名にしたのが、今では誰もが使っているiPhoneを発表したことです。

その当時には、もう既にスマートフォンがありましたが使い勝手が非常に悪かったためiPhoneの誕生は「電話の際発明」とも呼ばれるとても画期的なことでした。

いうまでもなくiPhoneの発売は大ヒットを記録し、その後に続くiPadの開発にも影響をもたらします。

そして、ジョブズは膵臓癌により2011年10月5日、56歳の生涯に幕を閉じました。

 

スティーブジョブズの生涯を描いた映画 (2016年公開版)

スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズ (吹替版)

映画の詳細を見る

 

ADHDは天才ではない

ADHDは天才ではない

スティーブ・ジョブズが成功したのは彼の性格(ADHD的な特性)が要因だと思われがちですが、「ADHD = 天才病」と勘違いしてはいけません。

天才というの、あくまで結果がもたらした「称号」の話であって、自分勝手な意見をただ振りまいていたり、闇雲に行動しているだけでは現状は何も変わりません。

ジョブズが成功したのは自分の特性を正しい分野に向けて上手く活用できたことと、時代の流れが合っていたからです。

ですので、まずは自分の特性を理解することと能力を最大限発揮できる分野をみつけて、全力でやり切る忍耐力が必要になります。

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まとめ

今回はApple元CEOのスティーブ・ジョブズとADHDとの関係性について解説してきましたがいかがでしたでしょうか?

ジョブズはADHDの特性のおかげで成功したという考え方もあるかもしれませんが、その反面自分の特性のおかげでかなりの苦労もしているので、人によっておかれている現状も違いますし育ちも違うのでADHDの人が必ずしも成功者とは限りません。

ADHDの人が何か物事を成し遂げるためには、周りの人々の配慮と正しく自分の能力を発揮できるポジションをみつけることが重要です。

そのためにまずは、人は一人では成功できないことを理解して、周りに自分を支えてくれる仲間を作ることから始めてみることをオススメします。

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